

「最近、どこかいい店ありましたか?」
出店相談に来られる方から、この質問を受けることが増えてきました。資金計画の話でも、内装デザインの話でもなく、まず街の話から始まる。この順番って、めっちゃ自然やし、正しいなって思うんです。
なぜかって言うと、飲食店出店の本質って、単体の店を設計することじゃないんですよね。「街の中に、どの文脈で自分の店を配置するか」っていう、構造の問題なんです。
どれだけ精度の高い図面を描いても、その図面が置かれる地盤が不明確やったら、建物の強度は保証できひん。飲食店も全く同じで、空間の完成度や料理の質はもちろん大事なんやけど、それ以上に、その店が街の中でどの梁に乗って、どの動線と接続するのか。この構造理解なしに、繁盛店は成立しないんです。
その問いに、私自身が責任を持って答え続けるために、「コト飲み」っていう社内の飲み会を始めました。月に一度、京都の繁盛店を巡る。ただそれだけのことです。
忘年会や新年会みたいなイベントとは違います。むしろ逆で、日常の構造を取り戻すための行動なんですよね。
昔は、仕事終わりに街へ出ることが当たり前でした。
河原町を歩いて、四条通を抜けて、路地裏の灯りに引き寄せられるように店へ入る。繁盛店のカウンターの端に座って、その店の空気の密度を感じる。それって特別なことじゃなくて、設計者としての基本動作やったんです。現場に行く。観察する。理解する。この繰り返しが、次の設計の精度を上げていく。
ただ、コロナを境に、その習慣は静かに途切れました。街が止まって、人の動きが止まって、私たちの行動も止まった。情報は入ってくるんですよ。SNSを見れば新店の情報も分かるし、Googleビジネスプロフィールを見れば評価もレビューも確認できる。でも、それらってあくまで設計図なんです。構造は理解できても、強度までは分からへん。
建物の強度って、図面じゃなくて現場にあるんですよね。梁の収まり方、柱の癖、素材の経年変化。これらは現場でしか判断できません。店も同じです。空気の流れ、音の密度、視線の重心。それらは数値化されへんけど、確実に存在する構造なんです。だから、もう一度、街に出ることを習慣にしようと思いました。それが、「コト飲み」を始めた一番シンプルな理由です。
京都で飲食店出店を成功させるために必要な「現場主義」の再起動
コロナ禍で、京都の街は確かに変わりました。観光客の動き、客層の構成、営業時間の設計。それらは確実に更新されてる。ただ、今振り返って思うのは、変わったのは街そのもの以上に、私たちと街との距離やったんかもしれへん、ということです。
以前は、週に何度も街に出てました。知人が独立したと聞けば行く。楽コーポレーション出身の店主が新店を出したと聞けば行く。五十棲グループの卒業生が動いたと聞けば行く。それって義務じゃなくて、設計者としての自然な動線やったんですよね。図面を描いた建物を確認しに行くのと同じです。完成した構造を、自分の目で確かめる。その行為が、次の判断の精度を高めるんです。
飲食店も同じで、繁盛店には必ず理由があります。ただし、その理由は単一じゃない。立地、空間、料理、接客、価格。それぞれが独立してるんじゃなくて、構造として統合されてる。この統合のバランスが、店の強度を決定するんです。図面は意図を示すものやけど、強度は現場にしか存在しません。店も同じです。
この強度って、現場でしか感じ取れへんのですよ。例えば、カウンターに座ったときの安心感。隣の客との距離感。スタッフの動線の無駄のなさ。これらは数値では表現できひんけど、確実に店の価値を構成してる。だからこそ、現場に立つ必要があるんです。
自腹で行くことの意味|顧客視点という構造の再確認
「コト飲み」では、費用の一部を自己負担にしてます。これは意図的な設計です。会社の経費で行くこともできるんやけど、それやと顧客としての判断が鈍る可能性がある。支払うっていう行為は、評価そのものやからです。会計を終えた瞬間、「この内容でこの価格は妥当か」っていう判断が生まれるんですよね。この判断って、設計者としてじゃなくて、顧客としてしか成立しません。
飲食店の構造は、価格と価値の一致によって成立します。価値が価格を上回れば、再来店が生まれる。逆やったら、その関係は継続しない。これってMBA的に言えば、需要と供給の均衡点の問題なんやけど、価格は供給側の意思表示で、支払いは需要側の意思表示です。この交点に、店の持続可能性がある。
自腹で支払うことは、この均衡点を自分の身体で確認する行為なんです。支払う瞬間の納得感。あるいは違和感。その感覚って、図面には現れへんけど、設計の精度を大きく左右します。以前、ある上司に言われたことがあって。「現場には、会社の金じゃなくて、自分の金で行け」って。そのときは抽象的な言葉に感じたんやけど、今は明確に理解できます。自分の金で支払うとき、人は最も正直になるんですよね。その正直さが、判断基準を更新するんです。
小さく始めることの意味|2人から始まる構造
「コト飲み」は自由参加です。1回目も、2回目も、参加者は2人でした。
多人数のイベントじゃありません。でも、それで十分やと考えてます。構造って、人数じゃなくて、継続によって形成されるんです。建物も同じで、最初は一本の柱から始まる。その柱が次の梁を支えて、梁が次の構造を生む。重要なのは、最初の一本を立てることなんですよね。
1回目(1月)は、会の方向性について話しました。京都の繁盛店を巡りながら、何を観察して、何を持ち帰るのか。その設計を共有した。話題は仕事だけやなくて、福岡旅行で知ったきざみわさびの話にも広がりました。その場で注文して、届いた商品を試す。こういう小さな発見も、街に出ることで生まれるんですよね。

2回目(2月)は、最近購入したRICOH GRⅣの話で盛り上がりました。視点が変わると、見える構造も変わる。カメラって、観察の精度を高める道具やなって思うんです。飲食店も同じで、観察の精度が上がれば、設計の精度も上がる。

重要なのは、街に出続けることです。河原町を歩いて、四条通を抜けて、路地裏に入る。その繰り返しが、判断基準を更新していくんです。
魚々鶏夜と立地・空間の分析
先にも書きましたが、「コト飲み」は単なる社内の飲み会じゃありません。図面の外にある構造を確認するための、現場検証なんです。設計者としての視点を持ちながら、同時に顧客としてその場に身を置く。その二重の立場の中で、店の強度を観察していく。
1月に訪れた「魚々鶏夜 WOW WOW TONIGHT」は、その意味を明確に教えてくれた店でした。京都・河原町エリア、阪急京都河原町駅から徒歩2〜3分っていう距離にありながら、四条通からは直接見えない位置にあるんです。この「見えない」っていう状態が、すでに設計されてる。
四条通は、京都でも最も人の流量が多い動線のひとつです。供給側から見れば、最大の可視性を確保できる立地なんやけど、魚々鶏夜はその動線から、あえて少し外れてる。路地裏に入る。その数十メートルの距離が、店の性格を決定してるんですよね。偶然の来店じゃなくて、目的来店を選択してるってことです。
四条通から路地裏へ|立地は「距離」ではなく「意図」で設計される

四条通から一本入ると、街の音が少し変わるんです。人の密度が下がって、視線の速度が落ちる。その変化の中で、細い路地が現れます。この路地が、「魚々鶏夜 WOW WOW TONIGHT」へのアプローチなんやけど、このアプローチって、建築でいう前庭みたいな役割を持ってるんですよね。
門をくぐって、玄関へ向かうまでの距離。その時間が、訪問者の意識を切り替える。街の一部から、店の一部へと移行する。その境界を設計してるんです。立地は座標じゃなくて、体験の連続で決まるんですよね。路地裏にある店って、集客が難しいって思われがちなんやけど、それって短期的な視点やと思うんです。目的来店の店は、顧客との関係性が深くなる。関係性の深さは、再来店率に直結します。
再来店率って、飲食店の持続性を支える最も重要な指標のひとつなんです。供給側が可視性を選ぶか、関係性を選ぶか。その意思決定が、立地選択に現れる。魚々鶏夜は明確に後者を選択してるんですよね。
カウンターという重心|空間は視線によって成立する

店内に入ると、空間の重心がすぐに理解できます。中心にあるのは、カウンターです。そして、その内側にあるキッチンが、完全に視認可能な構造になってる。これって単なるレイアウトじゃなくて、空間の重心設計なんです。
飲食店の空間には、必ず重心があるんですよね。重心が曖昧な空間は、視線が分散して、空気が不安定になる。逆に、重心が明確な空間は、視線が自然に収束して、空気が安定するんです。魚々鶏夜では、その重心が「藁焼き」によって形成されてます。
藁に火が入る瞬間、炎が立ち上がって、視線が一斉にそこへ向かう。その瞬間、店内の全員が同じ方向を向くんですよ。これって調理であると同時に、空間設計なんです。火は、人の注意を最も自然に引きつける要素のひとつやと思うんです。その原始的な力を、現代の飲食店の中で再構成してる。この設計によって、カウンター全体が一体化するんですよね。
これって、ライブ感っていう言葉で表現されることが多いんやけど、本質は「視線の制御」やと思うんです。視線が制御されることで、空間の重心が安定して、顧客の滞在体験が強化される。
町屋リノベーションという時間の層|新築では作れない文脈
魚々鶏夜は、京町屋を改装した空間です。町屋リノベーションの価値って、単に古い建物を再利用することじゃないんですよね。その本質は、「時間の層」を空間に残せることなんです。柱に残る傷、梁の色の変化、床のわずかな歪み。これらはすべて、この建物が過ごしてきた時間の痕跡です。この痕跡は、新築では再現できひん。
新築は、完成した瞬間から時間を持つんやけど、過去は持たないんですよね。時間の層がある空間は、顧客に安心感を与えます。理由は明確で、その空間がすでに長期間存在し続けてるっていう事実が、構造の信頼性を証明してるからです。町屋リノベーションは、京都っていう都市の特性とも一致してるんです。京都は、新しいものと古いものが重なり合う都市で、完全な新規性よりも、既存の文脈の中での更新が評価される。この都市構造の中で、町屋リノベーションは極めて合理的な選択なんですよね。
楽コーポレーションのDNA|接客は構造として継承される
魚々鶏夜は、「酒菜米べゑ」の姉妹店で、その系譜には楽コーポレーションの文化があります。東京で「汁べゑ」「くいものや楽」などを展開しているこの会社は、独立志向の強い人材が集まる修業環境として知られてるんです。
初めて汁べゑを訪れたときの衝撃は、今でも明確に記憶してます。接客の距離感が、これまで経験したものとは明らかに違ったんですよね。近すぎず、遠すぎない。その絶妙なバランスが、空間全体の密度を高めてた。この距離感って、マニュアルで再現できるもんじゃないんです。修業環境の中で、身体的に学習されるもので、その身体性は、独立後の店にも継承されるんですよね。
飲食店は、空間だけで成立するもんじゃありません。人と文化が重なり合うことで、初めて成立する。魚々鶏夜の空間が持つ強度は、この文化的背景によって支えられてるんです。
出店者が観察すべきチェックポイント
魚々鶏夜で観察できたポイントは、出店を考える方にとってめっちゃ重要な示唆を含んでると思います。
- 四条通から路地裏へ入る「意図的な距離」の設計
- カウンター中心の重心構造による空間の安定
- 藁焼きによる視線誘導とライブ感の創出
- 町屋リノベーションによる時間の層の活用
- 文化的背景を持つ接客の身体性
これらって個別の要素じゃなくて、統合された構造なんです。立地、空間、接客。そのすべてが一貫した意思決定の中で設計されてる。魚々鶏夜は、繁盛店のひとつの型を示してました。立地の意図、空間の重心、文化の継承。それらが統合されたとき、店の強度が生まれるってことなんですよね。
ただ、繁盛店は必ずしも同じ構造を持つわけじゃありません。2月のコト飲みでは、その前提を覆すような体験をしました。予約不可の店に向かって、満席で入れへんかったんです。その瞬間、供給と需要の設計っていう、より根源的な構造を目の当たりにしました。繁盛店は一つの型じゃない。2月はそれを思い知らされた。
2月のコト飲みで、最初に向かったのは「サンバディ」っていう店でした。

営業時間は14時から通し営業。そして、予約不可。Googleビジネスプロフィールや予約サイトが整備されて、顧客の利便性が最大化されてる今の時代において、この「予約不可」っていう設計は明確な意思を感じさせるんですよね。
結果から言うと、19時前の時点で満席でした。店の前に立って、入店できないっていう事実を確認した瞬間、その店の構造が理解できたんです。供給が固定されて、需要がそれを上回ってる状態。この状態は、飲食店における最も健全な構造のひとつなんですよね。
供給は席数で決まって、需要は顧客数で決まる。席数を増やせば売上は伸びる可能性があるんやけど、空気の密度は下がります。逆に席数を制限すれば、空気の密度は上がって、体験の質が向上する。その結果、顧客の満足度が上がって、再来店率が上がるんです。この再来店率の積み重ねが、繁盛店の構造を支えるんですよね。
満席は結果じゃなくて、設計なんです。サンバディの店主は、京都の人気居酒屋グループである五十棲グループの出身と聞きました。このグループの店には共通する特徴があって、活気があって、料理の質が高くて、店名がキャッチーなこと。
そして何より、供給量の設計が適切なんです。需要を過剰に取り込むんじゃなくて、適切な密度を維持する。その意思決定が、満席っていう状態を継続的に生み出すんですよね。入店できへんかったっていう体験は、ある意味で最も強いメッセージです。顧客としては残念な結果やけど、設計者としては最も価値のある観察でした。
供給と需要のバランスが適切に設計されたとき、店は自然と繁盛店になるんです。
食堂ほかげ|構造の美しさはキッチンに現れる

サンバディに入れへんかったから、次に向かったのが「食堂ほかげ」でした。神宮丸太町エリアに近い静かな通りにあって、看板も控えめで、主張しすぎない存在感を持つ店なんです。この控えめさも、京都っていう都市の文脈に適合した設計やなって感じました。
店内に入って、最初に目に入ったのはキッチンの美しさでした。道具の配置に無駄がなくて、すべてが整理されてる。この状態って、単なる清掃の結果じゃないんですよね。オペレーションが整ってることの証明なんです。
飲食店のキッチンは、その店の思考を最も明確に表す場所やと思うんです。無駄のない動線、適切な収納、整理された作業環境。これらはすべて、店主の意思決定の結果で、構造が整理されてるから、空間も整理される。その結果、顧客は安心して滞在できるんですよね。

長く続く店には、必ずこの安定感があります。派手さじゃなくて、強度。目立つ要素がなくても、構造が強ければ店は継続するんです。
裏スタンド|伝統と合理化が共存する新しい京都の型

その日の最後に訪れたのが、「串揚げと煮込み 裏スタンド」でした。京町屋をリノベーションした2階建ての空間で、手作りの陶器の串立てやカラフルな椅子が印象に残ってます。空間は町屋の文脈を維持しながら、運営は現代的に設計されてるんです。
注文はQRコードで行う方式でした。これってオペレーションの合理化なんやけど、注文の効率を上げて、スタッフの負担を減らして、その分を接客や空間の維持に配分できる。この合理化は、単なる効率化じゃなくて、空間の質を維持するための構造設計なんですよね。

客層は比較的若くて、海外からの旅行者の姿も見られました。京都っていう都市が持つ多層性が、この店にも現れてる。伝統的な町屋リノベーションの空間の中で、QRコードっていうデジタル技術が機能する。この融合が、今の京都の飲食店の特徴のひとつやと思うんです。
裏スタンドを運営するグループは、上京区や中京区を中心に展開を続けてます。出町スタンド、丸太町スタンド、そしてMARTIN。神宮丸太町周辺における出店の連続性は、単なる拡張じゃなくて、文脈の構築なんです。同じ都市の中で、複数の点を結んで、面を形成する。この戦略によって、ブランドの強度が高まるんですよね。
京都の飲食店トレンド|町屋リノベーションと構造更新の同時進行
今回のコト飲みで訪れた、あるいは観察した店には共通する特徴がありました。それは、町屋リノベーションっていう物理的な文脈を維持しながら、運営構造を現代化してることなんです。
魚々鶏夜 WOW WOW TONIGHTは、藁焼きによるライブ感で空間の重心を設計してた。食堂ほかげは、整理されたキッチンによって構造の強度を維持してた。裏スタンドは、QRコードによってオペレーションを合理化してた。そしてサンバディは、供給量の制限によって空間の密度を維持してた。
これらはすべて異なるアプローチなんやけど、共通してるのは明確な意思決定なんですよね。何を残して、何を更新するのか。その選択が、店の構造を決定するんです。
2人から始まるコミュニティ|観察の継続が構造を作る
コト飲みの参加者は、まだ多くありません。1回目も2回目も、2人でした。でも、それで十分やと考えてます。構造は、数じゃなくて継続によって形成されるんです。
福岡旅行の話から、きざみわさびの話題になって、その場で注文しました。最近購入したRICOH GRⅣの話から、視点の変化について話した。
これらの会話って、直接的には飲食店設計とは関係ないように見えるんやけど、観察の精度を高めるっていう意味では、すべてがつながってるんですよね。街に出て、店に入って、観察して、支払う。この繰り返しが、判断基準を更新していくんです。
京都で飲食店出店を考える方へ|図面の外にある構造を見てほしい
京都で飲食店出店を考えるとき、多くの方が最初に考えるのは物件や内装です。でも、本当に重要なのは、その店がどの文脈の中に配置されるのかっていう構造なんですよね。河原町の路地裏に出店するのか。四条通に面するのか。町屋リノベーションを選ぶのか。それとも新築を選ぶのか。これらの選択は、すべて構造設計なんです。
図面は、その構造を具体化するための道具に過ぎません。重要なのは、その図面が接続する街の構造なんですよね。繁盛店は、偶然生まれるもんじゃありません。立地、空間、オペレーション、文化。そのすべてが統合されたとき、店は持続可能な構造を持つんです。
だからこそ、街に出てほしいと思います。繁盛店に座って、その空気を感じてほしい。その体験が、最も正確な設計資料になるんです。
コト飲みは、これからも続けていきます。特別な取り組みじゃなくて、設計者としての基本動作として。街の中で何が起きてるのかを、自分の目で確認し続けるために。
飲食店出店は、図面から始まります。でも、成功は図面の外で決まるんですよね。その外側にある構造を、見続けることが、私たちの責任やと考えてます。
街に出る。観察する。理解する。
そしてまた、街に出る。この繰り返しが、次の繁盛店を生む土台になるんちゃうかな、って思ってます。





